
今回は、自称エリート痔主である私が、一体どういう痔歴(履歴)を持つ人間なのかを
赤裸々に語らせていただきたいと思います。
もしこの記事を見ている方で、自分が痔かもしれない!と悩んでいる方がおりましたら、
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目次
【11才】初めてケツ穴が切れた瞬間

私は、子どもの頃から慢性的な”便秘”持ちでありました。
1~2日は大便が出ないことが当たり前。
ひどいときは、4日ぐらいは大便器に座ることなく過ごすようなときもありました。
あまりに大腸内に溜め過ぎた大便は、硬くなり肥大化していきます。
大便器に座ったとき、私はまるで鉄の塊のようなカッチコチの便を命がけで排出する子どもでした。
そして、11才のある日、私のケツ穴はそんな過酷な労働条件に耐え続けることができなくなり、
ついに限界を迎えます。
ブチッ

私の耳に聞こえたのは、肛門が、無慈悲に切り裂かれた音でした。
まごうことなき”切れ痔”の症状です。
私のケツ穴は、これまでの人生で感じたことのない、
猛烈な痛みと熱を持ち、便器の中には、
鮮血がポタポタと落ちていくことで鮮やかな赤のグラデーションが広がっていました。
本当に、痛かった。
この日から、私と痔の、長くも苦しい共存の日々が、始まるのでした。
【12~14才】便秘が極限まで悪化しケツ穴も限界 肛門科のドアを叩く
初めて切れ痔を発症して以来、私のケツ穴はどんどん悪化の傾向を辿ります。
大便をすれば、ほぼ毎回ケツから血を垂れ流し、ケツの痛みに数時間は悶える日々。
やがて私の中では、“排便=痔が痛む”という方程式が出来上がり、感情を支配していくことになります。
つまり、排便に恐怖を覚えてしまったのです。
結果、元々便秘ぎみだった私の腸活動はさらに悪化する一方で、
気付いたときには、大便をする頻度は5~7日に1回という状態になっていました。
それだけ溜め込まれた大便は、まさしくケツ穴にとっては凶器以外の何者でもなく、
私のケツが発する痛みと出血量は、加速度的に増加していきました。
日常生活にも、様々な支障が出始めていました。
まずは、どう頑張っても便が出ないこと。
最強の硬度と大きさを得た私の大便は、もはや傷だらけのケツ穴を自力で通れるような代物ではなかったのです。
当然、人は永遠に大便を我慢できるはずがなく、腹痛にも悩まされるようになりました。
どうしても出ないときは、イチジク浣腸に頼りました。
自分でケツ穴に浣腸を入れる勇気がなかった私は、母親に浣腸をお願いしました。
母親のヒザの上で、うつぶせでケツを突き出し、浣腸をしてもらう。
思春期真っ盛りの男子にとって、これほどの屈辱的なシチュエーションはそうは無いでしょう。
しかし、そうでもしないと私は便秘で死んでしまうのです。背に腹は代えられませんでした。
次に、勉強や部活動に集中できなくなったこと。
このころの私は、排便時から半日程度は、勉学に励むことが難しい状態でした。
なにせ、椅子に座っているだけでケツ穴に痛みが走り、集中どころではなかったのですから。
さらに、野球部に所属していた私は、激しい運動により度々痔が悪化してしまうという弊害もありました。
そんなこんなで、私のケツ穴は限界近くにまで腫れあがる日々が続き、ケツ穴を抑えつつ日常生活をやり過ごすのでした。
14才のとき、そんな私を見かねた母親が、肛門科へ連れて行ってくれました。

肛門科では、医者のオッサンに指を突っ込まれてグリグリされたり、
オバチャン看護師さんにケツ穴ローションを塗ってもらったりと、とっても刺激的な経験を得ると共に、
いくつかの薬を処方してもらうこととなりました。
ちなみに、診断では私の痔は
“ひどい切れ痔とでっかいいぼ痔のハイブリッド痔”
と言われました。
病院にしばらく通院した結果、最悪の状態とも言えた私のケツ穴は徐々に腫れが収まり、
排便時の痛みもかなりマシになったのです。
【15~16才】ひたすら耐え続けた寮生活
しかし、15才で高専入学をすると共に、再び私のケツ穴は窮地に立たされます。
高専では学生寮に入ることになるのですが、
この寮のトイレに、なんとウォシュレットが無かったのです。
痔主にとって、ウォシュレットの有無は死活問題です。
なぜなら、ウォシュレットでケツ穴を洗浄しないと痛みと出血が中々収まらないのと、
ペーパーで拭くという行為そのものが痔に対しては悪手であるからです。
学生寮に入っていた2年間は、本当に辛い日々でした。
様々な対策を考え、ケツ穴を抑えながら、生きていきました。
・外出したときにウォシュレット付きトイレを見つけると、何よりも優先してそのトイレに篭ること。
・お風呂では念入りにシャワーでケツ穴を洗い、湯船に浸かってケツ周りの血流を良くすること。
・常にボラギノールを常備し、少しでも痔が悪化したときはすぐ塗るようにすること。
・自分の教室の椅子に、大きめのクッションを置くこと。(痔用クッションは置けませんでした)
そんな創意工夫の甲斐あり、なんとか私のケツ穴は限界を迎えることなく、寮生活を終えることができました。
【16~20才】緩やかに、ケツ穴は安らぎを得てゆく

寮を出てからは、痔も便秘もあまりひどくなることはありませんでした。
突発的に切れることや、穴から痔核が出てくることはありましたけれどね。
便秘も、なるべく溜めないように日々の生活を心がけ、2日に1回は大便が出来るようになっていました。
私のケツ穴に、(多少のしこり(痔核)が残りつつも)穏やかな日々が訪れたのです。
血が出る頻度も、年を追うごとに減っていきました。
【20才~】社会人になっても痔主でありつづける

20才になり、私は社会人になりました。
社会人になって1人暮らしになっても、工場勤めで働くようになっても、
私のケツ穴が完治することはありませんでした。
そしてこれからも、私のケツ穴から痔が無くなることはないのでしょう。
たまに、私のケツ穴は脱肛します。
たまに、切れたときのような痛みが走ります。
たまに、2日ぐらい大便をしないときがあります。
でも、大丈夫です。私は生きています。
私は確かに痔主ですが、1人の人間として、今ここで生きています。
私は、自分が痔であることを隠さずに生きていこうと思います。
この文を最後まで見ていただいたアナタが、もし痔持ちであるのならば、
痔のことを周囲に言えず、知らずのうちに悪化してしまい、
取り返しのつかないことになってしまう前に。
勇気をもって、痔と向き合ってもらいたいのです。
決して、痔は特別な病気ではないんです。
日本人の、3人に1人は痔なんです。
だから、臆することなく、肛門科および肛門外科の病院に言っていただきたいと思います。
私のように、痔で辛い思いをしてほしくは無いのです。
皆さん。ケツ穴は、人生の大切なパートナーです。
しっかり、労わってあげましょう。
痔は、ケツ穴が悲鳴を上げている何よりの証拠なのです。
だから、痔になったことを恥ずかしがらず、治療をしましょう。
以上です。